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雨ですね、、本日はこの文章を掲載させて頂きます。東日本大震災から数日後に書いた物です

1:従業員N :

2024/03/12 (Tue) 12:43:36

雨ですね、、本日はこの文章を掲載させて頂きます。これは東日本大震災から数日後に書いた物です。今年で13年。ご清覧いただければ幸いです。
ありがとうございました。
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【現場】

「『これだけの電力が必要?でも電気は今、何に使われている?やけに鮮明なパチンコ屋の大型モニターとか都会の派手な照明、24時間点灯している何百万台もの自動販売機だ。世間はそんな娯楽電力にどれほどのリスクを負っているかを考えもしない。その賄いの為に人間は原子力と共に生きるべきではない。これは人として』
そう言って同僚が会社を退職したのはショックという以外には無かったよ。その退職で日本が変わることが無くても、それを行動に移せるということも。あいつも家族がいるのに」

A氏はいつしかそう僕に話していた。

「いわゆる見切り発進。問題は何も解決されていない。ただ放射性廃棄物を六ヶ所村に閉じ込めていられる間、何十年先、いや百何十年先に人間はきっと多くの諸問題を克服し解決方法を見つけ出している。そんなバラ色の青写真を願って、原発はもう既に稼動している。
電力がもっとも必要なこの時間でも点灯する巨大な電子看板の為に。原子力発電とはそういうものなんだよ」

この仕事に従事する中で、また一人の人間の根本的な善悪とその行動の中で、A氏は常に苦悩していた人生だった。社会的な仕事と生活として、一人の科学者であり専門的技術者として、そしてもしかしたら家族を養う父親の責務として。

日本のエネルギー基本計画、原子力による国家戦略。
A氏はその政策の一端を担う者として最先端の任務に着き、時には新聞に載るような国家プロジェクトの主要メンバーでもあった。彼にとってそれは必ずしも小さくない誇りだったと思う。
同時にA氏や同僚を含む最先端の人間は、日本における原発推進とそれに伴う今回のようなハイリスク、大企業を中心とした政策的エネルギー計画の深淵や、反原発団体の主張と恐怖感も、そして反原発団体すらあまり触れない労働者被曝も、これら全てを熟知していた。

原子力発電所の安全神話、対外的な安全説明。
福島原子力発電所でも東海村核燃料加工施設でも高速増殖炉もんじゅでも、そう言ったPRはあらゆる原発関連施設で行われているが、実態は自身の都合のよいデータだけを選別する到底「絶対安全」と呼べたものではなく、だからこそ、災害対策だのプルサーマルだの何だのと、A氏も同僚も毎日を改善と研究に明け暮れなければならないのが現実だった。
同時に、最先端で安全説明をしていた者が、矛盾と絶望から退職を選択し反原発運動家になった現実も。

『炉心溶融』
今回、この言葉がメディアから隔たり無く鼓膜に届いた時、僕の全ての神経組織が硬直した。僕はそれを非常に詳しく「理解」していたからだ。
身体中の末端までの全神経が氷のようになり、筋肉を瞬時に冷やし、指一本動かせず皮膚感覚も感じられなくなった。脳神経の片鱗までも見つけられないその5分間は「死」を宣告された囚人を強烈に直感させた。
「仕事中だ、動かなければ」
炉心溶融という宣告を何とか無理やりに意識から遠ざけ、冷たくなった微かに震える手で仕事を続けた。
A氏がECCSの研究に携わっていた頃の遥か遠い話がトントンと意識を叩いた。

「もし人間が滅びるとしら、原因は自然災害などの外的要因ではなく、人のみが持つ一つの本能、知識欲かもしれないなぁ」
寂しそうにゆっくりと話した事もあった。今思うと、ある種の謝罪とか慙愧の念だったのかもしれない。謝罪とは何に対してだろう、人間に向けてか、未来に向けてか。
「科学、包括して哲学をするものは、それが人間そして世界にどのような影響があるかより、ただ単に解き明かす事に魅了されてしまっているんだ。
世界への影響を考えられる人間は人間を滅ぼすことは無く、人間を滅ぼすのは影響を考えられない人間だ。
そして、影響を考えられるのは科学者ではない。
俺は原子力発電のほぼ絶望的な難題を解決しなければならないし、原子力という物を最終的な形まで理解したい」

僕が学生の頃、国際関係論の講義で「科学の発展に努めるものは、社会的価値観を持たなければならない」ということを科学者ジョセフ・ロートブラット氏の言葉として立命館大学教授安斉育郎氏の著書で教わったが、A氏はきっと「そんなやつは科学者ではない」とでも言っていただろう。
確かにジョセフ・ロートブラット氏は、アメリカで原子爆弾製造計画に参加し、戦後は核兵器と戦争廃絶を目指す組織で指導的役割を果たし、1995年にノーベル平和賞まで受賞している。
間違っても科学者がやっている事とは思えない。

先日、友人から「いちいち全てのことの意味を知りたがるのが現代人の救いがたさだと、ある僧侶が言っていた」と聞いた。
A氏のことを思うと、きっとこれは現代人だけではなくいつの時代もそうだったに違いない。そうでなければ、人間が人間になることはできないはずだ。きっとどこかの変な猿が始めた事まで遡ることだ。
そして、これはその僧侶が言うように「救いがたさ」だ。
救いがたさは人間が別の存在になるまで続く。続かなければ今の人間が人間足らざるを得ない。
もちろん、原子力発電に限った話ではない。
人間はそのように進んできたし、これからも進むだろう。一体どこに向かって。

A氏は健康には人一倍に気を使っていたが、心臓を悪くし、脳を悪くし、内臓を悪くし、知っているだけでも3回も頭蓋骨を含め身体を大きく切り裂いていた。
晩年は非外傷性の脳溢血も発症し、最後は10万人中に数名しか発症しない難病に罹り、長い闘病生活の後、全く動かない朽ち果てた古木のような身体になって60歳ほどで死んでしまった。
その原因がそういった苦悩による過度のストレスか、原子力発電という仕事環境のものかは知らない。
A氏が一人の人間として、一人の科学者として、一生懸命に家族を養った一人の父親として、自分の死をどのように受け入れたかも知らない。

それがこの震災の9カ月前に死亡したA氏、僕の父だ。
                             N

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『【速報】岸田首相が震災13年で追悼の辞「東北の復興に全力。風化させず災害に強い国づくり進める」』

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